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日本科学未来館企画展「GAME ON ~ゲームってなんでおもしろい?~」に行ってきました。

4/20(日)に初めて、お台場にある日本科学未来館に行ってきました。ちょうどその頃、企画展「GAME ON ~ゲームってなんでおもしろい?~」http://www.fujitv.co.jp/events/gameon/をやっていたのもあって風が強いお天気にかかわらず、子供連れの方が多く来館していました。
※この企画展は2016年3月2日(水)~5月30日(月) まで開催していたもので現在終了しています。

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企画展の中で特別に体験できる、プレイステーションVR(バーチャルリアリティシステム)とマインクラフトの体験整理券は来た時にはすでに配布は終了していました。
http://www.jp.playstation.com/psvr/hardware/index.html
http://www.jp.playstation.com/software/minecraft/about/

未来館の中に入った時、ちょうどロボットのアシモのプロモーションが行われて見物の人が大勢いました。
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その上には、日本科学未来館のシンボル展示の一つ、Geo-Cosmos(ジオコスモス)があります。
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1000万画素を超える高解像度で、宇宙空間に輝く宇宙の姿をリアルに映し出している地球ディスプレイです。有機ELパネルを使った世界初のもので、科学未来館館長の毛利衛さんの「宇宙から見た輝く地球の姿を多くの人と共有したい」という思いから生まれました。画面上を流れる雲の映像は、気象衛星が撮影した画像データを毎日取り込んで反映させたもので、当日の朝までの地球の姿を眺めることができます。ジオ・コスモスは地球上空の雲画像をはじめとする科学観測データ、シミュレーション画像、アートコンテンツなどを映しています。
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また、常設展の上の階に行く通路途中で間近にジオコスモスを見る事も出来ます。
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ジオコスモス製作過程の様子なども展示されていました。
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企画展「GAME ON ~ゲームってなんでおもしろい?~」の様子ですが、当日私の時間がちょっと限られていて駆け足で見てきたのもあって中途半端な所もあります。ご容赦ください。
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STAGE 1 プレイの誕生 コンピュータが生んだエンターテインメント
テレビゲームの誕生は暗号解読、砲弾の弾道計算のために開発されたコンピュータの誕生と発展とともにあります。

1951年に、最初期のコンピュータの一つでチェスのプログラムが作られ、その1年後にはディスプレイを使ったゲーム的なインターフェイスによるマルバツゲーム『○×○』が開発されました。1961年には、リアルタイムシミュレーションで音楽付きの宇宙戦争ゲーム『スペースウォー!』により、現在のゲームの原型が示されたと言われています。

そして1971年、とうとうゲームは科学者たちの手をはなれました。世界初の商業用アーケードゲーム『コンピュータスペース』が誕生、翌1972年のテニスゲーム『ポン』により、新しいメディアとしてテレビゲームの幕が開けたのです。
 
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スペースウォー!

1960年、DEC(デジタル・エクイップメント・コーポーレーション)は自社初のコンピューター「PDP-1」を作りました。翌年、学生たちに活用してもらおうとMIT(マサチューセッツ工科大学)にPDP-1を寄付します。そのPDP-1上で動作するゲームとして、スティーブ・ラッセルを中心とするMITの学生たちが1962年に開発したのが『スペースウォー!』です。このゲームの目的は、中央にある太陽の引力に引きこまれないようにしながら、敵の宇宙船を倒すことです。ピンチにおちいった時はハイパースペース(超空間)コマンドで、ランダムに別の場所へ移動できます。『スペースウォー!』は専用のコントローラ(1つのボタンと2つのトグルスイッチ)を持つ、世界初のビデオゲームとなりました。なお、最初のコイン式ビデオゲームとされる『ギャラクシーゲーム』も、プログラムの多くの部分は『スペースウォー!』からの流用で作られています。

STAGE2 ゲームセンターでプレイ アーケードゲーム
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コンピュータスペース

『コンピュータスペース』は、世界で初めて作られたアーケードゲームです。ノーラン・ブッシュネル(アタリの創始者)はユタ大学で学生をしていたころ、大学のコンピューターで『スペースウォー!』というゲームを楽しんでおり、今後ビデオゲームが大きなビジネスになると確信しました。1970年、ノーランは娘の寝室を研究室に改造して『スペースウォー!』の影響を受けたゲームを作り始めます。そして1971年、そのゲームは『コンピュータスペース』というアーケードゲームとして製品化されました。残念ながらヒットはしませんでしたが、キャビネットのデザインはすばらしく、また画面や回路基板、コントロールパネル、スピーカー、電源からなる基本的なアーケードゲーム機の構造は『コンピュータスペース』が確立しました。この構造は、今でもほぼ変わっていません。

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ベクターゲームとラスターゲーム

『アステロイド』や『テンペスト』は「ベクターゲーム」です。ベクターゲームは、対応するディスプレイによって頂点とその間を結ぶ直線で描かれていたグラフィックが特徴です。『アステロイド』の画面はおどろくほどシンプルで、白い直線で描かれた宇宙船や小惑星が画面を飛び交います。『テンペスト』は、複数の色を使ったはじめてのベクターゲームでした。一方、『スペースインベーダー』や『ギャラクシアン』は、すべて「ラスターゲーム」です。いまの液晶テレビやスマートフォンの画面と同様に、ピクセルと呼ばれる小さな点の集まりで画像を描きます。1970年代は、ラスターゲーム用のディスプレイはベクターゲームのそれに比べてずっと価格が高かったのですが、価格が安くなるにつれて、精細でカラフルな画像を表示するラスターゲームの時代になりました。

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ポン

『ポン(PONG)』は、ノーラン・ブッシュネルが1972年に創設した、ゲーム会社アタリ(ATARI)が初めて作ったアーケードゲームです。シンプルなピンポンゲームで、世界初の家庭用ゲーム機「マグナボックス・オデッセイ」の『テニス』を参考に、アタリの最初の社員であるアラン・アルコーンが開発しました。『ポン』の試作品は、カリフォルニア州サニーベイルにあるバー「Audy Capp`s」に置かれました。けれども、設置してわずかに2日後に、バーのオーナーから『ポン』が壊れたとアラン・アルコーンに電話がありました。アルコーンがすぐに駆け付けたところ、コインを貯める箱がいっぱいになり、お金があふれ出して故障を起こしたことがわかりました。『ポン』は大変な話題となり、アタリは最終的に1万台を販売しました。また、アタリは家庭用ゲーム機版の『ポン』も開発。大手百貨店シアーズ・ローバックが『TELE-GAMES』という名前で1975年のクリスマスシーズンに販売し、大ヒットとなって仕入れた15万台が完売しました。


メディア

コンピューターでは、さまざまな”メディア”(記録媒体)が使われてきた。市販のゲームソフトの場合は、機種ごとの専用カートリッジや光ディスクが使われているが、それ以前の時代のたとえばパンチカードやテープでは、1つの”穴”が1ビットを表していた。時代とともに記憶できる情報量は飛躍的に増えたのだ。また、近年はゲームはネットで提供されることも一般的になった。
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プログラム可能なコンピュータ、データ処理機械の記録媒体として1880年代頃に発明されたパンチカードは紙テープ、磁気テープ、コンパクトカセットテープ、フロッピーディスク、CD-ROM、DVD、ブルーレイディスクの光メディアへと変遷していきました。ゲーム機の記録媒体であるファミコンのディスクシステムに使用されたディスクカード、スーパーファミコンのカセットROM、プレイステーションポータブルのUMDなどもありました。

その他、ゲーム機に使われるCPU(中央演算処理装置)、プレイステーション1~4までの機体に使用されている基盤なども展示されていました。
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CPU(中央演算処理装置)

ゲーム機はエンターテインメント専用のコンピューターといえるが、コンピューターの頭脳にあたるのが”CPU”だ。CPUは一度に何ビットずつ処理できるかによって、”4ビット””8ビット””16ビット””32ビット””64ビット”と進化してきた。展示は、最も代表的なCPUメーカーであるインテルの製品と製造過程のシリコンウェハー。

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ブラウンボックス

1951年、ラルフ・ベアという若いテレビ技師は当時勤めていた会社の上司から世界で最高のテレビを作るように言われました。ベアは、テレビでゲームをプレイするという斬新なアイデアを示しましたが、上司はその考えに同意できず、アイデアはお蔵入りになってしまいました。しかし15年後、ベアはバス停でバスを待っていたとき、ゲームのアイデアがよみがえりその作り方を4ページの書類にまとめました。それからベアは数年をかけて「ブラウンボックス」と名付けた試作品を制作し、テレビメーカーに売り込んだ結果、1971年、マグナボックスという企業がその使用権を得ることになりました。中身はほとんどブラウンボックスのままで、ケースは白いプラスチック製にかわり「オデッセイ」という名前となって、1975年5月、世界ではじめての家庭用ゲーム機として売り出されました。35万台以上が売れたと言われています。

この他、STAGE3 いろいろプレイ「○○ゲー」の発生と進化のコーナーでは、『どこでもいっしょ』『ウイニングイレブン2016』『ファイナルファンタジー7』のゲームを取り扱っていました。

STAGE4 おうちでプレイ 家庭用ゲームの進化では、今まで販売されていた家庭用ゲーム機と、『Dの食卓』『バーチャファイター2』『ロックマン』といったゲームソフトの体験プレイなどもあり、お客さんでごった返していました
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プレイヤーズ・インタビューとして、芸人よゐこの有野晋哉さんのインタビュー映像が放映されていました。
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STAGE5 どこでもだれでもプレイ キッズ&ポータブルゲーム
任天堂が1980年に出した携帯用ゲーム機、ゲーム&ウォッチなどの展示もありました。
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STAGE6 アートでプレイ ゲーム、キャラクター、音楽、映画のコーナーでは『太鼓の達人』『ビートマニア』『ザ・シムズ』などの音ゲー体験プレイのほか、他ゲームの設定資料も公開されてました。

STAGE7 作ってプレイ インディーズゲームとプラットフォーム
ブロックを自由に配置し空間を作る冒険・ものづくりゲーム「マインクラフト」の、日本科学未来館を探検するスペシャルバージョンの体験プレイもありました。
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STAGE8みんなでプレイ マルチプレイヤーとコミュニティ
インターネットの普及で、多くの人が同時にプレイすることが可能になりました。フィールドがネットワークにつながることで、ゲームの世界観、スケール、領域が広がり『ウルティマオンライン』や『ワールドオブウォーズ』など世界中で普遍的に愛されるゲームが生まれました。

一方、『Wii』による新しい身体的インターフェースの誕生で、ゲーマーでなかった家族や友人たちとお茶の間で楽しむスタイルが生まれます。また、『Ingress(イングレス)』が示した、地理情報とバーチャルな世界を融合したゲームの誕生は、インターネットの情報を駆使してゲームとリアルをつなぐ新しい時代の象徴的な出来事でした。

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イングレス

「Ingress」は2013年12月に正式サービスがはじまった、スマートフォンの位置情報を使ったゲームです。Googleの社内ベンチャーであるNiantic Labsが開発したものですが2015年に開発チームはNiantic,Inc.として独立された会社となりました。Ingressをプレイするユーザーは「エージェント」と呼ばれ、緑色(エンライテンド)と青色(レジスタンス)のどちらかの陣営に所属します。そして、世界各地の名所旧跡など歴史的、文化的に価値のある場所に設置された「ポータル」に実際に近づいて自陣営に取り込み、獲得した3つのポータルを結んで現実世界の地図上に三角形を作ると、その範囲内を自陣営の陣地にでき、面積や人口に応じた点数を得られます。実際に屋外に移動して「エチゾチック・マター(XM)」というエネルギーを集めポータルから得られるアイテムを収集し、そしてポータルを奪い合って陣地を広げるこのゲームがブームになったことで、これまでテレビ画面の前にいたゲーマーだけではなく、ゲームに馴染みがなかった人々も仲間と連絡を取り合いながら街に飛び出すようになりました。

NEXT STAGE 未来をプレイ ゲームはリアルに、リアルはゲームに
こちらではプレイステーションVRの体験プレイも行われていました。
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新しい技術は新しいメディアへ
テレビゲームはコンピューターの研究室から飛び出し、社会を変えたように仮想現実(ヴァーチャルリアリティ、以下VR)の研究の技術も、今ゲーム分野から社会に飛び出そうとしています。新しいプラットフォームを目指す「プレイステーションVR(ヴィアール)」は多くの人たちが家庭で気軽にVR体験をするきっかけとなり、ゲームに留まらない新しいコンテンツを生み出す可能性を秘めています。2016年は一般消費者向けのVR機器が複数発売されるVR元年とされていますが、人類の視覚、認識、現実感を変える新しいメディアとしてプレイステーションVRはその象徴的な存在となるかもしれません。

VR(バーチャル・リアリティ)の歴史
1)そのときVRという言葉はなかった
アメリカのコンピュータ科学者、アイバン・サザランド氏は1968年『ダモレスクの剣』と呼ばれる装置を試作します。天井から吊るしたヘッドマウントディスプレイ(HMD)に、三次元CGの画像をシースルーで映し出す装置です。人間の首の動きに合わせて映像を視線方向に表示する、すなわち身体をコンピューターとの対話に使うというコンセプトは斬新でした。当時、まだVRという言葉はありませんでしたが、現在のVRの原型と言われています。

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リアルとバーチャルの境界線を越えて
リアルドライビングシミュレーター「グランツーリスモ」は、その名の通り現実世界のクルマ文化のすべてをゲームの中に再現する事を目指しています。圧倒的なクオリティで再現されたリアリティは現実とゲームの境界線をどんどん曖昧なものにします。
ゲームの為に作られたオリジナルカーが実車として誕生したり、「グランツーリスモ」のトッププレイヤーがプロレーシングドライバーとなるなどの事象がすでに現実世界で起こっています。

ゲームから現実へ
「グランツーリスモ」の世界は現実世界へも影響を与えています。「ビジョン グランツーリスモ」は「グランツーリスモ」のためだけに世界的な大手メーカーたちがクルマを開発する取組です。提供された何台もの「ゲーム世界のクルマ」が「現実世界でフルスケールモデルや実車」となって公開されています。
また「グランツーリスモ」の体験はプレイヤーの人生にまで大きな転機をもたらします。トッププレイヤーは「GTアカデミー」の取り組みを通し、すでに何人もプロレーシングドライバーとして活躍しています。また最新作『グランツーリスモSPORT』ではFIA(国際自動車連盟)とのパートナーシップにより、オンラインチャンピオンシップの優勝者が現実のモータースポーツのチャンピオンと同様に、FIAのセレモニーで表彰されます。これはゲームが公式なモータースポーツの一部になる、歴史的な瞬間となる事でしょう。

リアリティの追求
「グランツーリスモ」で再現されるリアリティはクルマメーカーとのパートナーシップや膨大な時間をかけて行う現実世界の取材と調査がベースとなっています。プロフェッショナルなクリエイターたちが現実のデータをゲーム内に限りなく忠実に再現することで、高いクオリティが生み出されます。グラフィックス、サウンド、AI、物理エンジン、車両シミュレーション、オンラインなど挙げればきりが無いほどの分野のプロフェッショナルたち。そのエネルギーの結晶が「グランツーリスモ」です。

売店ではマインクラフトのフィギュアやゲームに関する本、グッズなどがありました。
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今現在、日本科学未来館で行っている企画展は「The NINJA -忍者ってナンジャ!?-」です。10/10(月)まで開催しています、ご興味ある方はよければ行かれてみてくださいね。
http://www.fujitv.co.jp/events/ninjaten/


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追悼。

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3月に3/12(火)ZABADAKさんのライブの記事を書かせて頂きましたが
http://inakafe.blog.fc2.com/blog-entry-49.html
7/3にZABADAKの吉良知彦さんが亡くなられたという訃報をお聞きしてとても驚きました。
http://www.zabadak.net/information/2016/0402_20160706_notice.html


私自身、福島クダラナ庄助祭りhttp://www.pj-fukushima.jp/event/4.phpでのライブや東京でのコンサートで演奏をお聞きしたのが、ZABADAKさんを知るきっかけになりました。福島に何度もライブをして頂き、また素敵な音楽をたくさん作って頂いて本当にありがとうございました。心よりご冥福をお祈り申し上げます。