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福島第一原発視察に行ってきました。

4/21(木)に一般社団法人AFW代表の吉川さんのガイドにより、福島第一原発視察に参加してきました。こちらの福島第一原発視察は主に福島県に住んでいる方を対象に定期的に行っています。http://a-f-w.org/ (今回の記事では私が撮影した写真も含まれていますが、福島第一原発視察の写真は一般社団法人AFWさん提供で掲載させて頂いています)

視察に行く前に、昼食がてら広野町にある二ツ沼総合公園内のレストラン、アルパインローズでごはんを食べてきました。http://www.alpinerose.jp/ アルパインローズは元サッカー日本代表の専属シェフを務めていた西芳照さんがオープンしたレストランで、東電の中継基地となっているJヴィレッジで働く人々のために食事を提供しています。その他、Jヴィレッジ内の「ハーフタイム」というレストランでも食事を提供しています。
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2013年4月13日に本田圭佑選手が訪問した色紙や、元サッカー日本代表コーチの岡田武史監督、代表選手の皆さんの励ましの言葉、祝いの手板などが飾られています。西芳照さんの著書、「サムライブルーの料理人 ─ サッカー日本代表専属シェフの戦い」も置かれていました。

今回はわかめそばを注文、おいしく頂きました。
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こちらは二ツ沼総合公園内のふるさと広野館一階に置かれてある、巨大な石炭の塊です。(ふるさと広野館二階でアルパインローズさんは営業しています)
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●広野町の炭鉱の歴史
 この石炭の塊はオーストラリアの炭鉱から運ばれてきました。東京電力広野火力発電所五号機は石炭を使って発電しています。広野町でも明治時代の初めに石炭が発見され、約九十年間採掘されました。第二次世界大戦後は、重要な資源として戦後復興の礎となり、最盛期には黒いダイヤと呼ばれ町に活気を与えました。広野町には浅倉・小松・寺沢・新広野及び鍋塚炭鉱などがありましたが、いずれも規模が小さく、石油中心の時代になる昭和30年頃には閉山が相次ぎ、広野の炭鉱は姿を消してしまいました。

 今では常磐自動車道も開通し、東北に春を告げる広野町は温暖な気候と緑の環境に恵まれたエネルギー供給基地として、我が国の発展に重要な役割を果たしています。 平成17年3月 広野町

ふるさと広野館の外には復興のシンボルとして、いわき市の方からのオリーブの木が植樹されていました。
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昼食後、Jヴィレッジの敷地内に初めて入ったところ建物の外観が工事中になっていました。Jヴィレッジは東電社員さんや作業員さんの中継基地として現在使用されていますが、福島第一原発により近い所に中継基地を今後移すのとサッカー選手の方のトレーニングセンター使用として今後再開する予定のため、傷んだところを現在工事中だそうです。
Jヴィレッジ 

視察の前にまず、東電視察チームの方から事前説明を受けます。
事前説明2(ぼかし) 

事前説明を受けた後、荷物等はJヴィレッジに置いて視察チーム社員さんと一緒にバスに乗って福島第一原発の方へ移動します。下の写真は国道6号線を通って移動の所です。バス内では窓から見える風景についても、社員さんが案内してくれます。
(このブログを読んでいて福島県浜通りの地理、市町村に詳しくない方もいると思うので、下の気象庁さんのHPの地図を見て以下の文章を読んでいただければと思います。)
●気象庁-福島地方気象台
http://www.jma-net.go.jp/fukushima/alert/alert.html

6号線を北上して楢葉町の中に入った所の写真です。楢葉町は避難区域が解除され、復興住宅も建てられています(二段目右の写真)。県立大野病院付属のふたば復興診療所もオープンしました(三段目左の写真)。楢葉町ではゆずが特産物ですが、ゆずの実証試験栽培が始まっています。まだ避難区域が解除されていなかった頃、廃炉の作業員さんや東電社員さんを移動する手段として使うバスや作業に使う大量のコンクリートが必要なため区域内のバス会社さん、コンクリート建造会社さんは特別に営業許可を出して協力して頂いたとのことです。
楢葉町 6号線(ぼかし)楢葉町 風景
P4200019.jpg楢葉町 復興住宅
 楢葉町 診療所 楢葉町除染廃棄物仮置き場1
 楢葉町除染廃棄物仮置き場2

楢葉町の仮設商店街、ここなら商店。またちょうどこの日に、東邦銀行楢葉支店も5年ぶりに営業再開した様子を道すがらに見られました。
楢葉町仮設商店街 ここなら商店(ぼかし) 

こちらは楢葉遠隔運転技術センター。福島第一原発の廃炉技術開発を行うモックアップ施設で作業者の訓練などを行う研究管理棟、原子炉格納容器の実物大模型などが入る試験棟があります。今年春にオープンしたばかりで、一般の人の施設見学申請も行っています。http://naraha.jaea.go.jp/
楢葉町 遠隔技術開発センター

下記の写真は富岡町を通過中の写真です。二段目左にある写真のヨークベニマルは震災後、長らくそのままになっていましたが今年に営業再開される予定です。二段目右のセブンイレブンは今年3月31日にオープンしたばかりとの事です。三段目左の写真は除染廃棄物の焼却、減容化処理のための仮設焼却場です。三段目右の河原の写真は、先日に除染と草刈りが行われたばかりの所なのですが、震災当時の津波で運ばれた車両類がまだ片付けられずその場に残っています。※2017年4月1日に一部を除いて、富岡町の避難指示は解除されました。
富岡町 国道6号2(ぼかし)富岡町 国道6号3(ぼかし)
富岡町 スーパー 今年再開予定(ぼかし)富岡町 3月31日オープン セブンイレブン(ぼかし) 
富岡町 仮設焼却場富岡町 除染と車両

除染が終わった後に廃棄物を保管するための土山、常磐線と奥に見える仮設焼却場。
富岡町 除染が終わった後にいれる土山富岡町 常磐線と奥仮設焼却場

富岡町内にある双葉郡警察署。こちらの建物でも警察官の方が勤務するようになりました。
双葉郡警察署(富岡町) 

富岡町内の帰還困難区域。道路沿いではまだ震災後の建物がそのまま残っている所もあります。除染廃棄物の黒いフレコンパックもまだまだ仮置き場に置かれています。
富岡町 6号線 帰還困難区域1(ぼかし)富岡町 6号線 帰還困難区域5
富岡町 6号線 帰還困難区域4(ぼかし)富岡町 6号線 帰還困難区域 除染廃棄物置き場 3
富岡町 6号線 帰還困難区域 除染廃棄物置き場 1富岡町 6号線 帰還困難区域 除染廃棄物置き場 2
 
大熊町の町内の様子。まだ住宅の前にはバリケードがあります。
大熊町(ぼかし)国道6号 大熊町 バリケード1(ぼかし)
大熊町バリケード  

田んぼでは灌木が生い茂っています。 ちなみに6号線を通る途中、道沿いにあるリアルタイム線量測定計で7~9μSv/hの場所もありましたが、バスの中だと放射線が遮蔽されるため約3μSv/hくらい減少していました。
大熊町 田んぼ1大熊町 田んぼ2

検問所で検問を受けた後、福島第一原発の入口付近を少し通ってバスから降り、入退域管理施設に入ります。検問所の検問、警護は福島県だけではなく増援で来ている全国の警察官の方が担当しているとのことです。バスで敷地内を通る途中、危機体感施設で作業員さんの高所訓練の様子を窺えました。ちょうど私たちがバスから降りた頃は作業員さんの退勤の時間だったようで、道すがら多くの方とすれ違い挨拶を交わしました。
検問所(ぼかし) P4200095(ぼかし)
発電所入口付近入退域管理施設前 (ぼかし)
危険体感施設1危険体感施設2

建設中の新事務棟。この事務棟が完成したら東京電力が入ることになっており、今現在使用している事務棟には代わりに協力企業が入る予定になっています。また、作業員さんのための大型休憩所もこの近くにあります。この新事務棟の脇でバスから降りて入退域管理施設の中に入り、説明を受けた後に薄いベスト、靴カバー、手袋、累積して被ばく線量を測る個人線量計を身に付けます。個人線量計はベストのポケットに入れます。説明を受けた後は検問のチェックを受けて、敷地内を通る別のバスに乗り込みます。
建設中事務棟 完成すると東京電力がこちらに、現在事務棟に協力企業が入ります(ぼかし)建設中事務棟3(ぼかし)
大型休憩所
新事務棟脇降車1(ぼかし) 入退域管理施設 内 VIP室2(ぼかし)
視察装備品 綿手袋と足カバーバス車内4(ぼかし)

通路に飾られていた花。
通路 花

入退域管理施設に提示してあった放射線被ばくの早見図。
外部線量被ばく目安 

ちょうど今回の視察に行く頃に、空間線量に合わせてグリーン、イエローと色付けしてエリア区域を分ける仕様になったとのことです。バスが通る最初のエリアはグリーンで比較的線量が低い区域です。下の写真の桜並木は震災前から多く植樹されていたのですが、震災後にフェーシング(舗装)の必要もあってかなりの数を伐採したとのことです。グリーンエリアは防護服が不要なエリアで、作業員さんも作業着姿で歩いていました。
フェーシング 1フェーシング 2
桜並木グリーンエリア2(ぼかし)

急病者が出た人のための救急車、手術室も備わっており、敷地内を移動する車の整備所、ガソリンスタンドもあります。
構内救急車両構内車両整備所
 構内ガソリンスタンド

多核種除去設備。この設備で汚染水に含まれた様々な種類の放射性物質を除去します。現在、高性能の多核種除去設備を建設中です。このエリア付近の空間線量は道端にあるモニタによると0.3μSv/hでした。
多核種除去設備多核種除去設備2
高性能多核種除去設備

放射性物質を吸着する使用済ゼオライト、吸着剤などをコンクリートボックスで保管している場所です。雨水を貯蔵しているタンク群もあります。
吸着塔 保管場所 雨水タンク

建屋の地下水、滞留水を処理する処理制御室。
滞留水(建屋地下水)処理制御室

重要免震棟。ここでは24時間交代制で人員を配置していて、建屋の状態などを監視しているとのことです。敷地内のみを走る車両はナンバープレートを取り外しています。
重要免震棟

タンクを運搬するための特殊な車両や、工事に使うコンクリート作業用の車、これから設置予定の1号機建屋上部カバーも置いてありました。
キリン、ゾウさん、コンクリートポンプ車(ぼかし) タンク運搬車両と1号機原子炉建屋上部カバー

原発事故直後に使用していたフランジ型タンクは現在使われておらず、汚染水の貯蔵は今は溶接型タンクに切り替わっています。フランジ型タンクが置いてあるエリア(イエローゾーン)の空間線量は0.9μSv/hくらいでした。
放射線率モニタ
フランジ型タンク1フランジ型タンク2
フランジ型タンク3溶接型タンク1
溶接型タンク2タンク
グラウンドに立てられたタンクタンクと構内バス

貯蔵しているタンクでは雨水が混入して土に染み込んだり周囲に広がったりしないように、堰が二重に設置されています。また、水を流す水路である暗渠(あんきょ)がそこかしこ敷地内に張り巡らされている印象を受けました。所々に地下水をくみ上げる井戸であるバイパスも見えます。
タンク堰2重化 1タンク堰二重化 2
構内暗渠 地下水バイパス(井戸)

この他にも、事故直後当初に汚染水貯蔵のため集めた官製品のタンクなどが沢山積まれて置かれていました(現在は使用されていません)。
事故初期汚染水タンク(現在使用していない)

天気が良い日に見えるそれぞれの建屋は現在このような状態です。奥の方に4号機が見えます。
天気が良い日の1~4号機
構内道路 左奥4号機奥4号機原子炉建屋

1号機の排気塔、飛散防止カバー、2号機建屋の様子など。
1号機原子炉建屋 排気筒35m高台から1号機を望む 
1号機原子炉建屋 飛散防止カバー2号機原子炉建屋

4号機に向かう途中の風景。ここは震災前は緑多い草地だったのですが、フェーシング(舗装)により全面灰色になってしまいました。津波でめちゃくちゃになった階段跡もあります。
構内フェーシング構内フェーシング2
構内フェーシング3津波後

4号機建屋の写真。アップの写真だと津波で建屋表面の塗装が剥げてしまった所が見えます。4号機建屋に隣接してある使用済核燃料取り出し用カバーは建屋に負担がかからない様に、非接触で作られているとの事です。初めて間近で見た4号機建屋は、2台の巨大なクレーン車が近くにあったのと使用済核燃料取り出しカバーがかなり大きかったのもあって、かえって建屋自体が少し小さく見えました。(敷地内ではバスの中での見学だったので、すぐ近くで見たらまた違う印象があるかもしれません)建屋付近の空間線量は19.3μSv/hでした。
4号機近影21~4号機西側 重機と排気筒
1~4号機西側 鉄板がひいてある4号機南側 凍土壁
4号機燃料取出しカバー4号機 燃料取出しカバー近影
4号機周り 作業員さん色が薄い所が本来の4号機原子炉建屋 上部 燃料取出しカバー
原子炉建屋の壁とサブドレンポンプ 距離の近さが注意4号機付近 線量 放射線率モニタ

一段目、二段目の写真は、4号機建屋の向かいにある、地下水をくみ上げるサブドレンポンプと凍土壁を作る装置です。緑色の部分は放射性物質の拡散を防ぐ飛散防止剤をふりかけた跡です。凍土壁付近は空間線量が高く約0.04mSv/h(=40μSv/h)でした。
緑色は飛散防止剤 シルバーの箱がサブドレンポンプ凍土壁
凍土壁アップ凍土壁2

4号機建屋を通過して、5,6号機近くを移動していた所、使用済みの防護服を収納しているたくさんのコンテナや廃棄物用に作られた新設焼却炉、敷地内で伐採した木を置いてある保管場所がありました。津波の影響で倒壊してそのままになっている鉄塔もありました。
5,6号機東側 防護服不要エリア
防護服収納コンテナ1防護服収納コンテナ
防護服収納コンテナ2新設焼却炉
伐採木2伐採木1
倒壊鉄塔

5,6号機では震災時の当時、津波による建屋付近の設備の損傷もありましたが、ディーゼル発電機による冷却もあって原子炉、貯蔵プールは冷温停止できました。https://www.jaero.or.jp/data/02topic/fukushima/status/dekigoto.html私達は建屋裏手の方を通って見てきたのですが、津波の損傷がある建物やぼこぼこになってしまったタンクなどもありました。また、使用済み核燃料を空気で冷却する管理設備にも津波は入り込んできたのですが、核燃料を保管する乾式キャスク(容器)が非常に頑丈だったのもあって、損傷はなかったそうです。
5号機原子炉建屋6号機原子炉建屋

この船は海底の土を覆う被覆土を撒く作業をしている船です。放射性物質が大量に含まれた土砂などが港湾に流れ込んだ時に被覆土を撒くことで、放射線を減衰させたり土砂の拡散を防ぎます。
港湾 海中土 被覆船

また、この近くには原発事故直後に汚染水を保管するのに使用されていたメガフロート(人工の浮島)がひっそりと置いてありました。http://www.tokyo-np.co.jp/article/national/list/201605/CK2016052202000147.html

色々と敷地内を回って視察を終えました。靴カバー、手袋類は入退域管理施設の入り口で脱いで、その後全身の放射性物質を測定する装置で検査チェックしてから中に入ります。個人線量計を見てもらった所、視察中の累積個人線量は約10μSv/h位との事でした。
視察終了1(ぼかし)
視察終了後は、入退域管理施設からまたバスを乗り換えて、Jヴィレッジに帰ります。6号線は何度か私自身も運転して通ったことはあるのですが、改めて窓から見ると道端にゴミが結構落ちているのが気になりました。Jヴィレッジで質疑応答を色々聞いた後、終了で解散になりました。Jヴィレッジ内で写真撮影は許可されていないので撮影しませんでしたが、他県から贈られてきた千羽鶴や外国の子供からの励ましの手紙、メッセージカードが飾られていました。

終了後帰ろうとして6号線に入った所、渋滞ラッシュに巻き込まれ疲れ気味に‥。ちょっと疲れたのもあって帰りに四倉にある、いわき太平洋健康センター蟹洗温泉でちょっと休んできました。http://kaniarai.net/index.htmlお風呂の方は太平洋が一望できる露天風呂もあって見晴らしも良く、ゆっくりできました。下の写真はお食事してきたカニピラフです。
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この他にはいわきの地酒、純米酒「いわきろまん」、「いわき遠野の純米酒」、いわき産天のつぶ使用の「神谷(かべや)」などが置いてあります。他には純米吟醸酒会津「天明」もあります。その他に蟹料理も色々あるので、ゆっくりしたい方はどうぞ行かれてみてください。
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お土産コーナーで色々とおみやげも購入も出来ます。
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今回、福島第一原発視察の主催、ガイドをして下さった吉川様と視察チームの社員様、他参加者の皆様、お付き合い下さりありがとうございました。


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「ふくしまの話を聞こうvol.5」に行ってきました。

4/16(土)に行われた「ふくしまの話を聞こうvol.5」http://www.kokuchpro.com/event/fkouenbk5/に行ってきました。去年にこちらのブログでも「ふくしまの話を聞こう」のお知らせをしましたが、このイベントは福島県に住む人の目線から見たお話を聞く会で、年に1回のペースで続けており今年は5回目です。今回は海と魚の話が中心です。お話する講演者はいわき海洋調べ隊うみラボ 共同代表 小松 理虔さん、兼松商店 さんけい魚店 松田 幸子さんです。
また、今回のお話の様子は主催者さんがyoutubeに動画として残していますので、気になった方はよければご覧下さい。


最初は松田幸子さんのお話『被災した町で魚屋を続けるということ』です。
20160416_054342977_iOS(切り取り)

松田さんは3児のお子さんの母親で、家族経営の小さめの魚屋「兼松商店 さんけい魚店」さんで働いており、手作りで作っている魚の干物、塩辛といった珍味などを主に売っています。30種類の魚介類を取り扱っており、34年前から操業を続けています。
20160416_054521363_iOS(自家製の干物)20160416_054527695_iOS(自家製の珍味)
20160416_054613556_iOS(震災前の様子)


春はメヒカリ、ノドグロ、夏はカツオ、秋はサンマ、冬はアンコウ、どんこの魚を主に取り扱っていました。夏のカツオは福島でも消費量が全国でも高いそうです。
20160416_054638485_iOS(春の魚)20160416_054651284_iOS(夏の魚)
20160416_054711947_iOS(冬の魚)
20160416_054737010_iOS(震災後の様子)

震災後に魚屋を続けるか悩んでいた所、小松さんに取材を受けさんけい鮮魚店を取り上げられた事で店の仕事を続ける事を決心したそうです。
20160416_054901198_iOS(小松さん取材文)20160416_054901198_iOS(小松さん取材文2)  
被災した町に勇気を与え続ける浜の男
・震災直後に店を開け続け、井戸水を開放するなど小名浜に生きる力を与え続けてきた鮮魚店がある。
・港が壊滅的な打撃を受け、目の前に突き付けられた絶望と向かい合う毎日。
・松田義勝社長は、それでもなお粛々と自分の宿命を受け入れ、前を向いて闘っている。
帰り際、売るものがないというのに「持ってけ」といって干物を持たせてくれた大将。「小名浜は、あとはおめぇらみたいな若えのにまかしたぞ」といって、僕の肩にゴツンと拳を飛ばした。その拳の熱は、じんわりと、でも確かな温度を持って心に響いた。

報われることを求めず、ただひたすらに誰かの笑顔のために汗を流し続け、宿命だと言って、苦労を受け入れてしまう。涙もろいけれど、深い人情味に溢れたその言動。これが「小名浜の男」なのだろう。大将の言葉ひとつひとつに、ふるさとをおもうアツい血が流れていた。復興の第一歩は、もうすでにこの店から始まっている。

避難先から地元に戻った時の様子
20160416_055108211_iOS(避難先から地元に戻った時の様子)  

・震災後は情報がほしくてインターネット上を検索した。
・地元や魚屋の仕事が好きなのに、魚を売っていることが悪いことのように感じられた。
・試験操業が週に二回程度になってしまったため、仕入れ方法が震災前と変わってしまった。1日経過してからか、もしくは別の場所で卸しで売られているものを買うようになっている。

風評被害の始まり‥「これは‥どこで捕れたお魚ですか?」「この商品は震災前に商品化されたものですか?」
20160416_055219334_iOS(風評被害のはじまり)

復興を願っているはずなのに、福島では漁業が再開していません。「他県のお魚だから安心です。大丈夫です。」
20160416_055240531_iOS(風評被害のはじまり2)

「外になんて干して大丈夫なの?」「天日干しではなくて原発干し」と心無い言葉を言われる事もありました。
20160416_055308127_iOS(心無い言葉)

消えてしまった名産品のうにの貝焼き。貝焼きは現在、他県のものを今は使っている。震災前の販売価格は2000円位だったが、震災後はご祝儀価格入札の時点で5000円くらいに。
20160416_055403786_iOS(小名浜の貝)

震災後は全国のお魚を仕入れるように。その中には同じく被災した港の三陸の養殖カキも。
20160416_055512843_iOS(全国のお魚との出会い)20160416_055603769_iOS(三陸の養殖カキ)

安全が証明された魚の数は72種類。補償ではなく、保障の在り方が問われる時期。
20160416_055830681_iOS(安全が証明された魚の数)20160416_055919151_iOS(補償と保証の在り方)

補償、賠償金‥タブーの問題。なかなか地元の人の口にも上げづらい。先代の人が残した魚職をバトンとして残していくのが大事。水産業を撤退する人が出てきている、賠償金が無ければ魚屋をやめる人も。

産地を書き込んだ手板、「この店で買うものはどこの物だって安心しているから大丈夫だよ」
20160416_060731814_iOS(産地を書き込んだ手板)20160416_060752278_iOS(手板2)

・町並みがきれいになって華やかになってきた、新しいお店が出店するところも。
・補償金の制度ばかりに頼るのはやめて、自分達で問題の壁を乗り越える必要があるのでは。福島県在住の人でも福島の食品を避ける人もいる。
・カツオを求めて来店してくるお客様も出てきた。
・鮮魚のスペースはまだ空白のままだが、海がよみがえってきた時のためにとっておいてある。
・自分の話を聞いて、福島に興味をもってくれればうれしい。見た目の復興ではなく、福島の人が幸せになる福幸を願っています。
20160416_061218421_iOS(福幸)

次は小松理虔さんのお話、『うみラボで何して遊ぶ?~「測る」のその先へ~』です。
20160416_061359273_iOS(うみラボ)

小松さんはフリーランスで福島の中小企業の情報発信をしています。自分たちが勉強することで地元に何か残れればと思い、様々な活動や情報発信をしています。

うみラボでは共に活動をしている釣り人の方や一般参加者も含めて調査をしています。主に、福島第一原発の海底土と海底にいる魚を調べています。
20160416_061733314_iOS(うみラボ説明)
いわき海洋調べ隊 うみラボhttp://umilabo.jp/ 
・民間人主体の海洋調査チーム
・水族館獣医、大学准教授、測定専門家が同行
・月一度の海洋調査船(釣り)と放射線計測
・毎回20名が乗船(うみラボメンバー/釣りボランティア/一般参加者)
・水族館アクアマリンふくしまの協力
・2013年11月~これまでに15回の海洋調査を行う

調査個所は福島第一原子力発電所1.5km~10km圏内です。海上の空間線量は0.03~0.04μSv/hほどあるとの事です。
20160416_062131480_iOS(うみラボ調査個所)

うみラボの活動は、「国連生物多様性の10年日本委員会(事務局・環境省)」により「生物多様性アクション大賞2015」で特別賞の復興支援賞を受けました。http://www.env.go.jp/press/101649.html
20160416_061605993_iOS(生物多様性アクション大賞)20160416_061641988_iOS(評価されたポイント)
評価されたポイント
・放射性物質の調査はなかなか一般では難しいという現状がある中で、地域の人たちが船を出して、いわき市の水族館「アクアマリンふくしま」など専門機関の協力を得ながら市民科学という位置づけで地道に調査を続けているところが評価されました。
・また、ブログやSNSを活用して福島の海洋資源の豊かさや資源保護の重要性を発信しています。
・水族館と連携するイベントでは、子どもたちやファミリー層に向けた情報発信にも力を入れています。地域全体の再生を視野に入れながら、生物多様性の活動を継続している点が評価されました。

20160416_062247687_iOS(調査の模様)
20160416_062255486_iOS(サンプル採取)20160416_062255486_iOS(サンプル採取2)
・サンプルを取る時、いわき観光関係者も同席していた。最初は重苦しい顔をしていたが、魚がつれたら徐々に笑顔が出るようになった。
・釣りをした後、釣ったヒラメはこんなに重いの?こんな所で泳いでいるのかという体験を通して、情報が得られるようになる。

20160416_062641187_iOS(調べラボ1)20160416_062641187_iOS(調べラボ2)
・調べラボ‥試験操業の魚を使った料理を必ず1、2品出すようにしている。魚の放射能測定に興味ある人は約10人くらい。美味しいものを食べたい人が参加者としてほとんど。ちょっと科学的な事にふれて帰ってもらう。
・魚のカルパッチョは不評だったが、たこのリゾットは好評だった。たこのリゾットを作る時のだしの匂いにつられて寄ってくる人が多く、行列ができた。
・東電、県が調べたデータに不信感がある。自分自身で調べたデータがあることで、根拠を持って言えるようになった。

20160416_063054151_iOS(調査結果)
100Bq/kg以上の魚が見つかる可能性は0.1%を下回ってきている。

20160416_063301933_iOS(ヒラメ調査結果)
2014年の調査(調査回数合計5回)では、ヒラメの体長は平均55.1cm、ND率は40%。2015年の調査(調査回数合計8回)では、ヒラメの体長は平均68㎝、ND率は68%になった。

20160416_063508381_iOS(メバルの調査)
・メバル類(シロメバル、キツネメバル)はまだ高めのセシウムが検出される。
・ほとんどの魚は2,3年の寿命で死ぬが、メバルは約10年生きる個体もいる。

わかってきたこと①
①年齢、体長によって汚染の状況が違う
・体長55㎝以上‥原発事故すでに成魚。放射性物質が高い傾向にある(とはいえ100Bqを超えるのはまれ)
・体長55㎝以下‥事故後に生まれた個体。ほとんどの場合NDであり、計測されたとしても1桁台におさまる。

年齢測定の重要性
・震災前生まれ(5歳以上)‥震災当時生まれているので、高濃度汚染水の影響をまともにくらう。現在検出されるセシウムは事故当時に被ばくしたもの。
・震災後生まれ(4歳以下)‥放射性物質が希釈された海で生まれ育つ。現在検出されるセシウムは、現在の海域から影響を受ける。
・震災後生まれの個体から高い放射線量が出たら、汚染水が現在も大量に流れ出ている証拠。

注意すべき魚?
・原発沿岸部の海底に居座る。移動をあまりしない。寿命が長い(高濃度汚染水の影響を受けた個体が生き残っている)
→メバル、ソイ系の魚‥とはいえ代替わりすれば、線量が低い個体のみとなる。復旧は時間の問題か。

20160416_064115085_iOS(納得)
納得に至るプロセスが重要。行く→見る→調べる→有識者の意見を聞く→根拠がわかる→科学的なアプローチが重要。

わかってきたこと②
②海や魚についていかに無知だったか。福島の人そのものが地元の魚のことをそもそもよく知らなかったのでは?
例えば‥
・どこにどんな種類の魚が棲息しているのか。それらの魚はいったい何を餌にしているのか。それらの魚はどのように成長しているのか。
・なぜ試験操業の対象になっているのか。逆になぜ試験操業に対象にならないのか。
→魚の生態、特徴を知る事で納得できる。安心の近道。

「素人」なりに「知ろうと」すること
・科学的なデータの積み重ね+魚の生態についての情報=より深い安心
・市民自らが学ぶ姿勢。政府や自治体が発信する情報以外の「セカンドオピニオン」にもなり得る。

・楽しい、おいしい、面白い‥といったポジティブな動機が人を動かす。知る事は楽しい、学ぶことは面白い。福島の魚はおいしい。→持続性+当事者性の醸成。
・ネガティブな動機で人は動かない。「支援をやってあげている」「やりたくないが、会社の命令でやっている」では長続きしない。

20160416_064445390_iOS(ブランディング)
測ること
①安全の根拠を知る②地元の魚を知る の①、②を発信する事がブランディング(いわきの漁業、復活ののろし)につながる。体験的、経験的な情報発信も必要。東電の賠償金に依存するのではなく、有効活用して福島の魚のブランディングを。

20160416_064642840_iOS(福島民友新聞)
福島民友新聞の記事:太平洋のマダラが震災前の5倍に!

福島の漁業資源が回復している!他県ではできない「禁漁」に成功。試験操業から資源管理漁業へ。
・他県よりも反発が少ない。取り尽くしても買い叩かれる。過去の漁業に戻る意味が無い。
・禁漁した分、魚の数が倍増した。福島から日本の漁業を変えられるか?
→福島の魚の問題は日本の漁業、食卓につながる問題。今の日本の漁業の問題点からカツオなどの魚の値段が高くなったり、将来的に食べられない可能性もある。

20160416_065127872_iOS(福島の漁業復活のために)
福島の漁業復活のために
①測り続けて情報発信
②回復した資源の保護
→試験操業から資源管理型漁業へ。福島の漁業が日本の漁業をリード。

ここからはお二人の質疑応答です。質問者、回答者の発言をまとめて書いています。
●松田さんへの質問‥小松さんの話を聞いて何か思ったことは?
→漁師さんの活躍によって、小名浜の水産業の将来がかかっている。若い人にこそ水産業に携わってほしい。
・魚屋の仕事が好きだったので、避難先から店に戻って仕事をするようになって涙を流した。
・いわきでは、震災前から高齢化が進んでいる。相馬では若い人が多く、試験操業に関してもスピード感がある。
・自立した方向、業界が活性化するように補償金が使われるようになってほしい。
・福島県としての情報発信は、県外など外向きばかりに発信をする傾向がある。うみラボの情報発信は地元にもするようにしたい。TOKIOなど発信力がある有名人と一緒にできたらと思う。
 
・さんけい魚店の干物はどこで買えますか?→手作りなので電話の注文をお願いします。https://www.facebook.com/sankei.iwaki/
・さんけい魚店の干物は、めひかりだとえら、肝などを取って作っている。干物以外の新鮮な魚介類では、カツオがおすすめ。
・カツオと一緒に食べるうま味に負けない純米酒が浜通りで求められる。魚と合う地元のお酒も一緒に買ってほしい。
・うみラボは漁協、自治体と離れた、独立した立場で活動しているが、いつかはデータの共有をできればと思う。
・放射線の勉強はあまりしていないが、魚の勉強をして得られたデータ、体験は身についているように思う。

「ふくしまの話をきこう」を毎年主催して下さっている福島おうえん勉強会様、お話して下さった松田様、小松様どうもありがとうございました。